2019年04月16日

音作り~小豆~

小豆



小豆です

ちいさい豆、かわいいね!


ある日のこと

11歳次女さんが言い出しました

「音を作りたい!」


小豆を使って波の音でも?
なんて思っていたら・・・


小豆を大中小のボウルにいれてみたり
マグカップに一粒ずつ増やしながら音の違いを聴き比べていたり
たっぷりたのしみました

どんな風に聞こえる?

・砂利の上を歩いているみたい
・落ち着く音だね
・これは好き
・高い音、低い音。粒の数で違ってくるね

いろいろな表現を出しあってみたり、
気づいたことをおもいついたまま口に出してみたり。



私はこの「親も一緒になって遊ぶ」ようなことはとても重要だと思っているんですね

「教える」眼差しだと
常に相手からの「答え」を待っていたり
「引き出そう」という意図が出すぎてしまったり
そういう態度が見えてしまうと
途端に 

おもしろくなくなるんです


誰が?
そうされているほうが。
大抵の場合は、つまりこどものほうが、です。



だから

ホームスクールは

親が教える先生役 というわけではないんですね
教師と生徒
教える側と教えられる側という考えは
スクールアットホームと呼ばれます

これが「悪い」というわけではないんですよ
ただスタイルの違いです

よく聞く「ホームスクーリング」や「ホームエデフケーション」は
このスクールアットホーム・スタイルと
自由なスタイルとがあって、

スクールアットホーム・スタイルでは
学校の勉強をおうちでおこなう・・・みたいなことです

自由なスタイルではなにが違うんでしょう?

思い思いに興味が湧き出るままに探究するテーマが
学校の教科学習と重なるときはあります。
これはアンスクーリング的ですね。

ホームスクーリングでは
将来的な見通しが親の方にあるという意味で
【親主導型】と呼ばれます

アンスクーリングもホームスクーリングも
重要なポイントは
【こども主体】であることです


スクールアットホームでは
テーマがこどもに与えられる
提供される
なにをするのかを大人から決められている
そういう状態になります

ですから
学校に行かない・行けない状況からのホームスクールはじめには
デスクーリングという
学校信仰から逃れるプロセスをふまないでいると

(学校に行かないのだから、せめておうちで勉強はさせないといけない)親の想いが残っておいて
(学校に行っていないけど、ちゃんと勉強はできるようになっていなきゃいけない)とこども自身も思い続けているんですね

その心の中の想いが
言葉として発する機会が無いので
親はこどもが勉強している様子を見て

自発的にやっている
勉強は好きだから

などと思うこともあって、
それは、その通りかもしれないし
違うかもしれないってことは
もしかしたらものすごくあとになってわかることだったりすることが多いようです


「別に興味はなかったけど、やってみたら?って勧められたから、やるものなのかな、やらないといけないのかな」と思ってた。
とこどもが言うのですよ。
親の意図を読んでいるんですね
大人の世間体とか見栄とかを読み取って、(いいよ。大丈夫だよ。)と慰めているのは
こどものほうだったりするんですね。
 
「学校に行かなくてもいいよ」と口では言っているけれど・・・
ちょっとした仕草で、こどもは「本当は行ってほしいのだな」と感じ取ります
実際には、親の方はそんなことはまったく思っていないとしても
周囲の大人たちの態度で、「本当はそうなのだな。そうでないといけないのだな」とも考えがちです。

自分で考えて
自分の思うとおりにしてもよいのだ


そう思えるまでには時間が必要ですし
デスクーリングという「学校信仰:学校に行かなければならない」といった固定観念を
意識して消していくプロセスによって

自分らしく 自分の人生を 生きていい
どんな自分でも 生きていていい


そんな思いを覆い隠していた蓋を
とりはずすチカラになっていきます

赤飯


使った小豆はその後 お赤飯 になりました!

うろ覚えで作ると失敗するんですよねぇ
今度はちゃんとレシピ本を確認しておいしくできました!



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Posted by こんにちはサラ at 08:45│Comments(0)ホームスクール
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